日曜討論 政治家は数字しか見ていない

朝、テレビをつけたら、日曜討論をやっていたので、久々に見ていたが、

日本の将来が危ういと感じさせるような討論だった。

 

「経済成長」「少子化」に対して、与党野党に関わらず、「財源はどうするか」

「防衛財源を上げる前に、外交努力をすべき。日中韓での会談はしばらくやっていない」「社会福祉の財源を縮小して、働く世代に可処分所得上昇を実感してもらって、経済を回す」「少子化対策の財源を確保していく」などなど・・・

 

まあ、この政治家たちは数字しか見ていない。これらの数字さえ上がれば経済も少子化も良くなると思っているようだ。

 

突っ込みどころとしては、武力衝突は外国の都合でいつでも起こりうることで自分たちに最も都合の悪いタイミングで起こるものであり防衛ポーズを緩めるわけにはいかない、社会福祉の縮小は働く世代が支えている両親世代や子ども世代の福祉負担が増えることを指すため消費上昇に直結するとは限らない、子どもは金さえ積めば育つものではなく現在の保育士不足・教員不足・共働きでないと働けない環境・都市部への人口集中(つまり就職先の地域偏在)と核家族化のなかでは育児のハードルが高い・・・

 

しかも「購買力平価」という言葉さえ出てこない。「財源をどうするか」「ここに資金を投入していく」の繰り返しである。供給力の低下のほうは完全に無視を決め込んでいて、お金さえあれば改善するはずと考えているようだ。

 

 

言うまでもなく、お金がいくらあったとしても、供給される物・サービスがなければ、生活を支える物・サービスを買うことはできない。しかし供給力を増やすことについて、政治家は興味がないらしい。

現在のアメリカで起きている、インフレーションのニュースを思い出した。

コロナ禍が始まって1年くらいのときの、ジャーナリストの指摘だったか。下に要約してみる。

 

>アメリカでは、コロナ禍による失業者への支援金が充実しているために、住宅支援金なども含めると失業支援金が最低賃金を上回っている場合もある。そのため、最低賃金ほどで働いている肉体労働者、トラック運転手などが、コロナ禍を期に大量に引退・休職して、コロナが開けてきて需要が上がった今になっても、労働者が市場に戻ってこない。結果として、賃金を上げて港湾やトラック運転手を集めて、価格を食料や日用品に転化せざるを得ない。物価が上がるから、支援金を増やすように労働組合から圧力がかかる。支援金を増やすと、引退・休職する労働者が増える・・・

 

今、日本はこのアメリカの状態を追いかけているのはないだろうか。

しかも、日本には、アメリカほど支援金を充実させる力はない。

高齢化によって、団塊ジュニア世代(1971~1974年生まれ)が引退したら、ますます食料品や日用品への価格転化も進むだろうし、それでも肉体労働のキャリアを積もうという若者はますます減っていくだろう。

 

なぜなら、高い日用品を買うには、高い賃金が必要なため、キャリアを積んでも賃金が上がりにくい肉体労働は敬遠されるからだ。

 

日本の経済は、政治家が数字ばかりを気にしているうちに、土台である供給力から腐り落ちていってしまうような気がしてならない。